【プロフィール】 令和5年6月時点

尾崎 勝也 - Katsunari ozaki

 

昭和46年水島東常盤町生まれ
倉敷市立第五福田小学校 卒業
倉敷市立水島中学校 卒業
岡山県立倉敷古城池高等学校 卒業
国立岡山大学教育学部 小学校教員養成課程 卒業
水島商店街にて家業のでんきやさん (有)とみや水島入社(1994年)
電器店となりの空き店舗にスイーツ&カフェ ミルクラウン開業(2006年)
  店長として商品開発に携わり、美観地区で有名な「しあわせプリン」の生みの親である。

 

家 族  ●  妻(洋菓子店勤務)

      娘(大学2年生)、息子(高校3年)、猫2匹(拾った子と引き取った子)
宗教観    仏教
政治観    志士仁人  動機善なりや私心なかりしか
趣 味    人生を楽しむ(^^)/チャレンジする
 誰かの役に立つこと、喜ばれること
       スポーツ・格闘技などのテレビ観戦
       キャベツ お刺身 少し日本酒

尾崎かつなり 決意表明 政治を志すねっこ

 

尾﨑かつなりと申します。つい先日48歳になりました。

28歳で結婚し、10年ほど児島で暮らしまして、家族とともに生まれた町水島に戻りまして10年になります。

 

このたび、政治を志すことを決意しました。

 

私にとって政治や選挙は、あまり良いイメージをもっておらず、感覚として近寄りたくないものでした。しかし、子どもをもち、社会にでて、地域でいろんな活動をする中で、政治の大切さを痛感するとともに選挙には必ず行くようにもなりました。そして、声を上げることの大切さも実感していました。

 

そんななか、2年前、水島のまちを担ってこられた市議さんが亡くなられました。

「このまちのためにだれかがやらんといけん!」という思いや、「僕じゃないだろ、僕には無理だろう」という思いも当然あり、いろいろな葛藤のなか、あるきっかけがありました。

 

私は、昨年の豪雨災害のとき、五福小学校で避難所のお手伝いに加わりました。そのなかで、学校側の要望もあり、避難者グループ連絡会というものを立ち上げました。この会は、避難所の自治を被災者でするという目的のもと、行政担当者と私と避難者のグループ代表者数名とで、710日から約2ヶ月の間15回にわたり夜に開催しました。私はその会の次第作成や司会進行をしたのですが、その第一回で、まず私は集まっていただいた避難者の方、おひとりおひとりに現在の状況や困りごとなどをお伺いする時間をとりました。これをするにあたり、意味がないと言われるボランティアの方もおられましたが、私はこれが一番大切だと思い、この時間をとりました。そしてその要望や困りごとを行政担当者にメモしてもらい、次の第2回の会議や第3回の会議でひとつひとつできるかぎりの返事をしていきました。そんななかで、行政の担当者の回答が被災者の立場に立っていない時は、その場で再考してほしいとお願いしました。また、行政担当者の対応が遅いと思われたときには、直接、倉敷市の危機管理室や知り合いの議員に尋ねたりして被災者の方に回答をしていきました。その後グループ分けし、代表者による集まりになっても、自治に関する要望や問題点も含め、行政との間でのやりとりを繰り返しました。このことが避難者グループ連絡会のひとつの柱でした。

そして、2ヶ月がすぎ、避難所が閉鎖されるころ、あるグループの代表者の一人の方が、避難所から出られる際に「尾崎くんお世話になった。あんたみたいな人が、議員にならんといけん。つぎの選挙ぜったいでられ。真備からかならず応援するから」と言われて仮設住居に移られていきました。

私は「どうして?」という思いとともに、いくらかでも避難された方のお役にたてたという思い、そして、私の中で、政治の場で私に何ができるのか?私にできることがあるのだろうか?という葛藤から、その言葉がすっと背中をおしてくれたように思いました。

みなさんのなかにはいり、みなさんとともにまちの問題や課題にむきあい、行政との間で、責任をもって解決に力をつくしていくこと。

ほんとうにシンプルなことだと思いますが、これが私の得意なところではないだろうか。私ができることであり、わたしがもし、政治の場にでるのであれば、こういうところでみなさんのお役に立てるのではないだろうか。地域のためにお役に立てるのではないだろうかと思いました。

 

これが私がこのたび、政治を志すにいたったはじまりの部分です。

 

10年前に、水島に戻りましてから、地域のみなさま方のまちや子どもたちに対するさまざまな活動をいろんなところで見聞きし、私なりにまちや地域に恩返しをしていかなければと考えいろいろな活動してきました。みなさまの後を引き継いでまちを担っていかなければならないと感じています。

今までのボランティアや市民活動ではなく、政治の場で、仕事としてまちに関わることで今以上に力を尽くすことができると考えています。

 

商店会の問題についても、町内のいろんな問題についても、災害対策も、福祉も、子育ても真剣にきちんと責任をもって取り組むこと。ここにおられるみなさんとともに、未来のために少しでもよりよいまちにしていくこと。議員としてまちのためにきちんと仕事をすること。これが私の政治に対する決意であり、このことを通じて必ず、みなさんのお役に立ちたいと思います。どうか、尾崎かつなりにチャレンジさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

令和元年12月23日


好きな言葉たち